これはきっと『推し依存』
今月に入ってから、推しに降りかかった出来事で凹んだことが2度あった。
心身の不調も相まり、直近の5日間では外に出ることはおろか、家事をこなすことや起き上がることすらままならない日もあった。
今は少し回復し、気持ちも前向きになりつつあるが、また気分の落ち込みが来て他人へ迷惑をかけるのは忍びないので、週末にあった予定を泣く泣くキャンセルすることにした。
辛いことばかりを反芻し、落ち込むことばかりを繰り返し考えてはまた嫌悪感に沈んでいく『気分の底』の状態を抜け出すことができ、少し動けるようになったので、2日振りくらいに入浴していた時、ハッと気づいた。
これは、「推しに依存しているのではないだろうか?」と。
振り返ると昔から何かに依存しながら生きてきたように思う。中学の時は1人の友達に依存して相手を困らせたり、高校ではネットに依存して辛い心からの逃避をしていたりもした。たぶん依存体質なのだろうとは数年前から薄々感じていた。
ただ、これらと今回の依存は性質が少し違うように感じる。
それは、「感情の主導権まで依存させているか」という点だ。
友達への依存やネットの依存は、それで心身の安定を図っていた面があるにしろ、感情そのもののコントロールは自らが担っていた。他人に酷く情緒を乱されることがあったとしても、それは自分の行動が原因の一端を担っていることもあったし、そうでないこともあった。もちろん依存先での出来事で悲しくなったり落ち込んだりすることもあったが、それが生活に支障が出るほどであったかといえば違った。
しかし、今の『推し依存』はそうではない。
推しに感情移入しすぎているのか、私の理想を押し付けすぎているのかは今の所分からないが、推しの行動とその結果に、あまりにも自分自身の感情が左右されすぎている。実際直近3日は推しの事を思っては悲しみ、何をしていても推しが頭をよぎった。
確かに推しの行動によって感情の起伏が生まれるのは、オタクにとっては当たり前に起こりうることだと思う。オタクはそれぞれ『理想の推し像』があり、それに出来るだけ近づいて欲しいと願う我が儘な生き物だからだ。(と私は勝手に思っている)
『〜〜ロス』、なんていうものは恐らくその最たるもので「そんな…推しがこんな風になるなんて…」という気持ちを多数が持ってしまうことをこの言葉は指しているはずだ。
ただ自分の場合は、推しに握られている感情の割合があまりにも大きすぎるのではないのだろうか。と今回気づいた。
描いていた理想の推しの姿ではなくなったのは辛い。だけれどそれによって日常生活に支障が出てしまうというのはかなり危険な兆候だ、と考えた。
今の自分は、「自分でない人間に、自分の感情のハンドルを握らせている」状態になってしまっている。
このまま『推し依存』を続けてしまうと、下手すれば「推しがもう理想でなくなったから私はもう生きられない…」となるかもしれないし、「推しが不当な扱いを受けるのはおかしいから不当な扱いをしている奴に攻撃するぞ!」となるかもしれない。
こうなってしまうと、オタクではなく危険人物となってしまうし、健全な人間の精神ではなくなっている。
もちろん目指している自分の生き方とも程遠い。
確かに今回の出来事達は、自分の解釈とも理想とも合わず、辛く苦しいものだった。まだまだ受け入れるのには時間がかかるだろうし、きっと思い出す度に複雑な気持ちになる。
だけれど、それとは別として自分は自分の人生を歩まねばならない。
やるべきタスクも、やりたいこともあるし、解決しなければいけない課題もある。それを全て放棄して、理想の推し像とのズレを悲しみ、感傷にどっぷり浸って動けなくなるのは絶対に違う。
悲しみだけでなく怒りもそうだ。少し前まで自分は、ある推し達(今回の気持ちの凹みの要因になったのとは別の推し)に降りかかった出来事に非常に怒っていた。だが、よく考えれば理想とのズレで非難し続けるのも恐らく違う。
それは『怒れるオタクの自分』『正論を言って推しに物申している自分』に依存して前に進めなくなっているだけだ。自分自身が怒りの対象に感情のハンドルを預けたくせに、怒りの対象のハンドルさばきに文句を言っている。
あの頃の自分は迷惑なクレーマーのようだったのだなと自省した。
出来事への感情は一旦置いておいて、とりあえず切り替えて別のことをしなければならない。
きっとそういう場面はこの先何百回もやってくるはずだ。
たぶん今までの自分はそういう出来事と自分の感情の切り離しが上手くできず延々と悩むことが多かったのだなと気づかされた。元々感受性が強い人間だったのが、推したちには特に強く想いを寄せてしまい、今の感情を寄せすぎた依存のような状態になってしまっている。とも考えられる。
とにもかくにも、自分に対してまた新たな発見が出来たことはとてもありがたいので、この3週間私の心をかき乱し続けた推したちには心の底から感謝したい。
ありがとう、推したち。