オタクのKさん

忘れたくない今の気持ちと思い出せた過去の書きだめ

あの日、iPodだけが友だった

 

 

 

 

 


物心ついたときから音楽が身近にあった。

 

 

音楽好きの両親のもとに生まれたため、恐らく胎児の頃から音楽は耳に入っていた。産まれてからは家の中に設置してあるステレオコンポやカーステレオから更に音楽を吸収し、4歳の時に習い事としてピアノを始めたおかげで自ら音楽を奏でられるようにもなった。

小学生までは両親の好みである1980年代から90年代のヒット曲ばかりをカーステレオで半ば強制的に聞かされつつ、ピアノの課題曲や発表会で演奏するときの参考のためにクラシックなどを聞いていた。

 

 

 

 

恐らくこの頃のほうが現在より音楽に対して時間・体力・気力を割いていたようにも思う。しかし今になって振り返るとそこには常に義務と強制の気持ちが付きまとっていた。

 

なぜなら小学生の時の私にとって、音楽は「嫌でも弾かなくてはいけないもの」であり、「私の意思とは関係なく聴かなくてはならないもの」だったからだ。

 

 

 

ピアノをやりたくないとサボっていたら必ず母に『やりなさい』と言われていた。ミスを続けていると『どうして出来ないの』と言われ、時には声を荒げられることもあった。涙でぼやけた視界の中でひたすら鍵盤を叩いていたこともある。

 

「やらなきゃ怒られる」「覚えるために聴かなきゃいけない」「上手くできるように練習しなきゃいけない」の気持ちが常に付き纏う音楽の事は、好きではなかった。むしろ学校で「ピアノやってるから音符読めるし上手く出来るよね?だからこれやってよ」と木琴やアコーディオンの係をやらされたりもして少し億劫なこともあった。

小学生(特に高学年頃)の私にとって、音楽は「それなりにできることは自慢できるが、強制イベント的にやらなくてはいけないめんどくさいもの」であった。

 

 

 

中学生になった時、部活動に入ることになった。その当時は学校の規則として全員なにかの部活動に所属しなくてはいけなかったからだ。

 

 

 

帰り道、『部活動どうするの?』と友人に聞かれた私は、少し考えてこう言った。

 

『とりあえず、吹奏楽部は嫌だな。』

 

友人は酷く驚き、なんで嫌なの、私吹奏楽部入ろうと思うんだ、どうせなら音楽やってるんだから一緒に入ろうよ、とまくしたてられたが、私は乾いた声で一言呟いた。

 

『これ以上音楽と関わる時間を増やしたくないんだよね。』

 

平日の部活動が終わるのが午後6時、そこから家に帰って恐らく1時間ほどピアノの練習しなくてはいけない。休日も3時間ほどは練習に費やす。それに加えて吹奏楽部に入ると平日は2時間、休日は少なくとも半日は楽器と触れ合わなくてはいけなくなる。もうこれ以上音楽に関わる時間を増やすのは嫌なんだよね。

 

 

言い方は少し違えど、確かこんなことを私はその時友人に言ったと思う。私の説明を聞いたあと、友人は少し寂しそうに笑って「そっか、なら仕方ないね。』と呟いていたことだけは、私の脳裏に強く焼き付いている。

 

 

 

 

 

結局私は、消去法で残った美術部に入部した。

 

きっとどこもそうだろうが、美術部というのは往々にして変わった人が集まる。私の所属した美術部も多分に漏れず変人の巣窟であった。(この美術部で起こった話は書くと長くなるのでいつか纏めて記したい)

 

そこで私は今まで知り合ったことのない人とたくさん出会った。

 

知らないもの、知らないこと、知らなかった世界を教えてくれる先輩や同級生、顧問の先生と話していくうち、少しずつ私の中に「もっと知らないことを見てみたい」という気持ちが芽生えてきた。

 

 

 


この頃から少しずつ自発的に音楽を集めるようになっていた。

大抵は部活中の会話で同級生から勧められた音楽をインターネットで探して聴き、その感想をまた部活中に共有するというものだった。

当時はインターネット環境が家に無かったため、母の勤め先にいる方の家にお邪魔し、パソコンをお借りして曲を探していたため、一度に探せる曲数には限りがあった。しかし自ら進んで、興味を持った音楽を探し、聴き、感情を動かされ、それを身近な人と共有するということは私の音楽に対する思いを変えてくれた。

今まで「発表会があるから嫌でもやる」「覚えるために聴かなきゃ」と義務感を持って付き合ってきた音楽と、この時に初めて仲良くなれた気がした。

 


そうして出会った曲がきっかけで初めてCDを買ったり、新たな友人が出来たり、別の曲と出会ったりもした。音楽への認識が変わったことが、確実に私自身を少しずつ変えていった。

 


中学3年の頃、私はiPod touchが欲しいと親に言った。存外すんなりとそれを受け入れてくれた親は、秋にそれを私に買ってきてくれた。

好きな曲を詰め込んだ銀色のボディをしたiPodを私は溺愛し、愛用した。時には寝る前にイヤホンをつけて音楽を聴き、そのまま眠りにつくこともあった。

好きではなかった音楽を、この時やっと好きになれた気がした。

 

 

 

 


高校に入ってからの数ヶ月間もそれは続いた。往復1時間近い通学時間で音楽を聴き、帰って課題を終えてから寝るまでの間にまた聴く。変化した環境に慣れようともがいていく中で、音楽が楽しみの一つだった。

 

 

 

 

 


しかしあの日を境に、音楽と私の関係はまたしても変わってしまった。

 


「死にたい」を思ってしまったその日から、今まで聴いてきた曲を聞けなくなった。聴こうとすると歌っている彼らの華やかな姿を思い出し、自分の今の惨めな姿との対比に苦しくなった。

 

 

そして、音楽を失くした通学時間が耐え難いほどの苦痛を伴う時間となった。

 

 

 

周りで聞こえる同じ学校へ向かう人々の話し声。今まで気にも留めなかったそれらが全て私に向かって投げつけられる暴言のような気がした。ただの乗り物がまるで牢獄のように思えて仕方がなく、その時の私にとっての通学は絶望から出て地獄に向かい、地獄からまた絶望に帰るまでの道程にある、小さな牢獄に乗る時間となった。

 

 

 

親兄弟も友人も先生も、今まで聴いてきた音楽すらも信じられなくなった私は、世界中が敵になったように思えた。孤独に苛まれ、味方を求め、理解を欲した私が出会ったのが、『機械が歌う音楽』だった。声はあり、姿もあるが実際に生き物としては存在しない。歌詞に思いはあるが歌い手の感情は込められてない。人を信じられなくなっていた私に、人の匂いがしない曲はあまりにもすんなりと胸の奥に入ってきた。

 


あっという間に私はそれらを好んで聴くようになった。イヤホンをつけ音量をできるだけ大きくしてそれらを聴くと不思議と苦痛が和らぐ気がした。派手で打ち込まれたサウンドが周りにいる人間の声や雑音も自分の頭の中に反響する呪詛にも似た言葉も全てをかき消してくれた。過激で直接的な表現をした歌詞に自分の心境を照らし合わせて、共感したりもしていた。

 

 

 


純粋な「好き」として楽しめなくなった音楽を自分を守る為の盾として使う。そうすることでボロボロになった心を何とか引き留め、高校生活を過ごしていた。まるでお守りのようにiPodとイヤホンをポケットに入れ、少しでも空き時間があれば曲を聴いていた。音楽に包まれている時だけが、安定した精神を得ることができていたとすら思える。

 

側から見れば依存のようにも見えていたかもしれないが、依存しなければいけないほどその頃の私は追い詰められていた。死にたいが生きなければいけない。学校へ行きたいがいざ近づくと身体が震えて動けなくなる。ちぐはぐになった心と身体をつなぎとめるため、悲観的な方向へ暴走する思考を鎮めたいときや誰にも理解されない孤独を埋めたいとき、私は何故か数多に存在する選択肢から無意識に音楽を選んでいた。

 

 


そしてiPodが作り出す盾の中で私は少しずつ生きる気力を取り戻していった。感情を整理し、心と身体を整えることが可能になった高3の二学期頃からやっと少し落ち着いて勉強ができるようになった。家では何も気にせず休みたいと考え、勉強をすることは学校でやっていた。その時にも音楽を聴いていたが、それは私をより勉学に集中させるためのものとしてで、今までの付き合い方とはかなり変容したものだった。

 

この頃になると、中学時代に聴いていた曲も少しずつ聞けるようになっていた。ここまで戻ってこれたのかな、と思うと同時に少し曲の受け取り方が今までと変わったようにも感じた。

 

 

 

大学生になってからは音楽を選り好みすることが減った。音楽は私とは別の人が見る世界を知るためのものだと考えられるようになったのか、気になったものはなるべく聴くように心がけるようにした。

歌詞やメロディーから広がる他者の世界に共感したりすることを楽しいと考えて、新しい曲を日々探すようにした。曲が増えれば増えるほど、私の感じることができる世界が増えたように思えた。辛いことがあればそこへ逃げ込み、楽しいことがあればその世界とともに思い出を噛みしめた。

 

 

 

 

 

 

8GBのiPodに入りきっていた私の音楽は、今や64GBにも入りきらないほどになっている。それだけ私が新しい曲を探し、出会ってきた証なのだろう。

今でもiPodとイヤホンは常に私の手の届くところに置いてあり、いつでも聴けるようになっている。

だがそれはあの頃のような世界からの逃避のためではなく、「この曲を聴きたい」というふとした気持ちにすぐに応えられるようにする為のものだ。

 

 

 

音楽には思い出が記憶される、と何かで見たことがある。昔聴いてた曲を聴くと、その時の風景や気持ちが蘇ってくるという意味のその言葉は、私の聴いてきた曲にも当てはまると思う。鬱の影響なのか高校を中心とした過去の記憶はほとんど思い出せないのだが、それでも音楽を聴くと様々な出来事や情景が去来する。欠けた記憶を思い出させてくれるピースの一つが音楽になっているのだ。

 

 

子供の頃は嫌悪の対象だった音楽が私の話の種となり、時には私を守る盾となってくれた。そして今は私の人生に必要な要素の一つとなってくれている。

今聴いているこの曲に、私はこれからどんな思い出を付け加えることが出来るのだろう。そう思いながら私は今日も新しい曲との出会いを求めていく。

 

今でも中3の時に買って貰い、高校卒業まで使い続けたiPodは捨てずに手元に持っている。

まるで戦友のように思えて、どうしても手放すことが出来ないのだ。

あの日々の全てを共に過ごしたのはこのiPodだけだから。